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2022.07.24 Sun

7月24日 今日の活動

今日は平原さんがお話をしてくれました。
エフェソの信徒への手紙1章3節~6節でした。
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「教会は神様の家族」という言葉が心に残りました。
今日は、AくんとSちゃんとTくんが来てくれました。
AくんとTくんは足し算を習ったばかりなので、二人で問題を出し合って楽しく過ごしました。
午後からは、みんなで月寒公園に行きました。
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シャボン玉をしたり…

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水遊びしたり…

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バトミントンをしたり…

普段来れない子や、大きな子たちも来てくれて一緒に遊んだりおしゃべりしたり、楽しい時間を過ごしました。
思い切り外で走り回れてよかったね!

来月もまた外での活動を考えています。
よかったら皆さん参加してくださいね(*^^*)


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2022.07.18 Mon

7月17日 エマオ


今日は久しぶりにエマオの活動がありました。
子どもメッセージが届いたので載せますね。

Ⅰコリント6:19、20
「知らないのですか。あなた方の体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなた方はもはや自分自身のものではないのです。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を表しなさい」


いま読んでもらった御言葉ですが、私の体が「神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿」だなんて、「もはや自分自身のものではない」なんて、そんなこと言われても、少し困ってしまいます。
自分自身のものじゃなければ、いったい誰のものなの? そして「代価を払って買い取られた」なんて、誰に、いつの間に買い取られていたんだ? と思ってしまいます。
初めて読んだときはとても不思議でした。
でも、あるとき、この御言葉を読んでいたら、少しわかったことがありました。
それは、こんな私にも神様の愛のまなざしが注がれているということです。
私は昔、「自分なんて、別にどうなってもいいな」と思いながら過ごしていました。
少し厭世的な気持ちで生きていました。
だから、自分の体も心も、大切になんてできませんでした。
そもそも、よく言われる「自分を大切に」という言葉の意味もよくわかりませんでした。
まあまあ大切にはしてるんじゃない? と思っていました。
でも、ある日この御言葉を読んだとき、こんな私でも、神様が買い取ってくださるなんて、とんでもないことだな、と思いました。
こんな私にも、聖霊が宿ってくださっている、そう思ったとき、本当の意味で、自分を大切にして生きよう、と思いました。
自分を粗末に扱うのが、なんだか申し訳ないような、もったいないような気持ちになったからです。
でも自分を大切にするってどういうことなのでしょうか。
それは、神様が愛してくださっている自分自身を愛する、ということだと思います。
私には、いいところがあります。
でも欠けているところもたくさんあります。
できないところもたくさんあります。
自分を大切にすること、自分を愛することは、そんな欠点だらけの自分に「〇」をあげることではないかと思います。
自分が自分の裁判官になって「こんなところはダメだ」「こういうことをするなんて信じられない」「あの時なんであんなこと言ったの?」と自分を裁いたり傷つけたりしないで、できないところは「どうしたらできるようになるかな」と言ってあげたり「できないところだってすてきだよ」と励ましたりしながら、「私」とずっと一緒に生きていくことです。
友達にするように、やさしく自分を扱ってあげることです。
神様は自分が思う自分の「欠点」を見て「そこがだめだよ」と言うでしょうか? 
「あなたのここは好きだけど、こういうところは好きじゃないな」「もっとこうしなきゃいけない」と言うでしょうか? 
絶対に言わないと思います。
良い、と思うところや、自分では少し「嫌だな、ダメだな」と思うところも含めて、神さまは「あなたのすべてを愛しているよ」と言ってくださると思います。
欠けているところや、できないところにこそ、神様の力が働いてくださいます。
その神様の愛を信頼するということです。
そうは言われても、なかなかできないと思います。
私も同じです。
「また失敗しちゃった……」「なんでできないんだろう」と思う日もあるかもしれません。
でも大丈夫です。
できない私たちのために、イエス様が来てくださいました。
自分ではできないけど、神様にはできます。
自分では自分を「いい」と思えなくても、神様はそんな私を「いい」と言ってくださいます。
自分で自分を励ませなくても、神様の言葉が私たちを励ましてくださいます。
そのことを信じたいと思います。信じられないときは、信じられるように祈りたいと思います。
神様は必ず祈りにこたえてくださいます。
新しい一週間も、神様の愛をたくさん感じて過ごすことができますように。
(メッセージ むつみさん)


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2022.07.10 Sun

7月10日 今日の活動

今日の子どもメッセージは西川さんがお話してくれました。

ヨハネによる福音書10章 14-16章

羊たちは、昼間は牧場に連れて行かれ、夜になると塀で囲まれた安全な「羊の囲い」に戻されるます。
このような「羊の囲い」では、何人もの羊飼いたちが羊と一緒になって夜を過ごします。
羊飼いは、朝になると囲いに来て、自分の羊たちを呼びます。
その羊飼いの羊たちは、この呼び声を聞き分けて群れとなって、牧場へと出かけます。
羊飼いの仕事は、イエス様の時代には、休みのない重労働でした。
羊飼いたちは、安息日に教会で礼拝することもできないので、人々から卑しい人たちとして嫌われました。
イエス様は、「わたしは羊の門である。また羊飼いでもある、」と言われました。
「羊の囲い」には「羊の門」(イエス様)を通って入りなさいとイエス様は言われています。
「 羊の囲い」は、羊たちの避難場所です。そこへ塀を越えて入ろうとする者は、盗みや何か他の悪さをたくらんでいる、と見てまちがいありません。
門をくぐらずに群れに入ろうとするのは、偽のキリストたちのことです。
「羊の門」では羊飼いが一匹一匹の羊の様子をよく見て、怪我をしていないか、お腹一杯、牧草を食べているかなどを観察します。
「わたしは良い羊飼いである」とイエス様は言われました。
「だめな羊飼い」は、羊の群れが狼に襲われても何もしません。自分の大切な羊でないからです。
「良い羊飼い」であるイエス様は羊の群れを愛しておられ、羊のために、ご自身の命を捧げられるほどです。
「私は羊のために命を捨てる」といわれ、私たちを救うために十字架にかかり、命を捨ててくださいました。
 イエス様はまだまだイエス様のことを知らない人たち(羊たち)を導くためにも呼び掛けています。
皆さんにはイエス様の呼びかけが聞こえていますか。
「イエス様の声」、それは聖書の言葉です。朝、目を覚ました羊たちは、羊飼いの声を聞き分けて呼び集められ、群れになって牧場に行きます。私たちは神様の牧場でイエス様と言う羊飼いに愛され、大切に守られています。
イエス様は羊飼いでイエス様を信じる人は羊であり、羊の群れは教会です。教会の交わりの中で、イエス様の声を聴き分け、イエス様の呼びかけに従って生きる羊として生きて行きましょう。
(子どもメッセージ 西川さん)

今日も暑い1日でしたね。
CSに参加してくれたみんなに、学校でのプールの様子を聞きました。
暑い日のプールは最高だね!
7月24日日曜日の午後には、CSで月寒公園にお出かけする予定です。
詳しいことはまた近づいたらお知らせしたいと思います。
よかったら参加してね(*^^*)
ではではまた来週~!
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